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— 拝啓、せんぱい —

拝啓、せんぱい #2 憧れの博物館学芸員になり、研鑽を積む日々 池田優季名さん (身延山宝物館 学芸員)

美しい山々に囲まれ、四季折々の景色が楽しめる日蓮宗の総本山・身延山久遠寺。その敷地内にある「身延山宝物館」で学芸員として活躍する池田優季名さんにお話を伺いました(内容は、2018年5月のインタビュー当時のものです)。

中学の職業体験で見つけた、自分の夢

―子どもの頃から学芸員になるのが夢だったそうですが、そのきっかけはなんですか?

身延山宝物館

通っていた中学校の近くに山梨県立考古博物館があり、学校行事でよく行っていました。その一環で職業体験をして、学芸員という職業を知りました。それまではこのような仕事があるとは知らなかったのですが、その職業体験を通じて、学芸員になりたいという夢を持つようになりました。

私は読書と歴史が好きで、高校3年間で約300冊の本を読みました。なかでも歴史小説をよく読んでいたのですが、歴史小説だとフィクションも多く、「実際はどうだったんだろう?」と疑問に思い、自分で調べたりしていました。その頃から、調査研究が好きだったのかもしれません。

―身延山大学に進学を決めた理由はなんですか?

考古博物館で土器の修復体験に参加したこともあり、“物を直す”という作業が好きでした。高校生の時に参加した大学説明会で、身延山大学では仏像の修復について学べることを知り「仏像を直せるなんてすごい!」と思い、興味が湧きました。

それまでは、仏像は修復を繰り返しているものではなく、新しく作り直しているものだと思っていたので、さらに、博物館学芸員の資格取得も目指せるということで、身延山大学への進学を決めました。

さまざまなプロジェクトで経験を積み、大きな自信に

―大学の講義はいかがでしたか?大変だったことはありますか?

私は一般的な家庭に育ち、身延山大学に入学するまでは仏教との関わりが薄かったため、仏教系の科目は専門用語がわからず苦労しました。しかし、仏教の専門的な知識やそこから学ぶ福祉の精神、人との関わり方を講義で学んでいくうちに、仏教が普段の生活に繋がっているということに気付き、それからは楽しく学習することができました。

身延山宝物館

また、博物館の学芸員資格取得のための講義もたくさん受講しました。山梨県立博物館では普段入ることのできない学芸員専用通路や収蔵庫の見学をしたり、湯之奥金山博物館では学芸員の方と直接話をすることができ、学生の私にとって貴重な体験でした。

―「工房」と呼ばれる東洋文化研究所仏像修復制作室では、仏像の修復や制作を実践的に学ぶことができたそうですね。その中で印象に残っていることはありますか?

悲母観音立像
悲母観音立像

工房では、東日本大震災慰霊のための「悲母観音立像」制作や、東京都荒川区の区指定文化財の修復など、さまざまな仏像に触れる機会がありました。特に、一年次から参加した「悲母観音立像」制作は、総高3m60cmもある大きな観音像で、おそらくあのサイズの仏像を作る機会はもうないと思います。私が入学する前からプロジェクトは始まっていて、参加した時にはほぼ彫刻は完了し、残りの工程は彩色くらいでしたが、それでも朝から晩まで作業しても終わりが見えませんでした。

完成後は、陸前高田市の妙恩寺に遷座され、東日本大震災四周年忌念法要とともにお経をあげていただきました。仏像の足元には、亡くなった方の数だけ小さな水晶を敷き詰めました。現地の方が泣きながらその水晶を撫でてくださった光景が忘れられません。このような大きなプロジェクトに参加し、被災地支援ができたことは大きな自信となりました。

―大学の研修で、「ラオス世界遺産修復プロジェクト」にも参加されたそうですね。どのような活動をしたのですか?

春休みを利用して、毎年、2月中旬から3月中旬の約3週間ラオスへ行き、ルアンパバン県世界遺産地域内の仏像修復や、ラオスの顔料についての調査を行いました。顔料は、その土地で採取した土から作るので、日本の顔料と全く違います。3年間の研究成果として、ラオスの伝統的な顔料に関する論文を、身延山大学の講師と共著で書き上げることもできました。修復作業は、現地の大学教授と行いましたが、英語が通じずコミュニケーションをとるのに苦労しました。この時期は雨期のため、暑くて大変でしたが、日本とは全く違う文化に触れたことで、自分の価値観が大きく変わり、良い経験になりました。

ラオス世界遺産修復プロジェクト

―卒業制作で「普賢菩薩像(ふげんぼさつぞう)」を制作されましたが、この仏像を選んだ理由はなんですか?またどのような点が難しかったですか?

東京都港区にある大倉集古館という美術館に国宝の普賢菩薩像があり、本当に綺麗で憧れの仏像でした。普賢菩薩は日蓮宗で“許しをくれる仏様”と聞き、ちょっと面白いなと思って調べているうちに、普賢菩薩像を卒業制作にしようと決めました。

身延山内の木を使って彫刻しましたが、どこまでやれば完成なのかわからず、なかなか仕上げが終わらなかったことが大変でした。完成後は、大学でお世話になった三輪是法先生が住職をつとめる蓮覚寺におまつりしていただきました。先生はたまに檀家さんを連れて久遠寺に来られることがあり、「この人が作った仏像をいつも拝んでいるんだよ」と檀家さんに説明してくださり、嬉しい気持ちになります。

―身延山宝物館でアルバイトをしていたそうですね。その経緯を教えていただけますか?

池田優季名さん

四年次の就職活動中に、博物館に関する講義を担当する教授から身延山宝物館でのアルバイトの話をいただき、受付と学芸員業務の手伝いをやることになりました。身延山宝物館は身延山久遠寺所蔵の宝物や「身延文庫」を研究・展示することが目的の博物館で、大学で学芸員資格取得を目指して仏像修復などの専門知識を学んでいる私に声をかけていただきました。

就職活動中だったので最初はちゅうちょもしましたが、博物館学芸員になることは小さい頃からの夢でもあり、卒業後には正式に学芸員として採用していただけるということでアルバイトをすることに決めました。

憧れの博物館学芸員になり、研鑽を積む日々

―身延山宝物館で正式に学芸員として採用された現在のお仕事について、教えてください

身延山久遠寺

身延山宝物館の来館者数は、一般の方と久遠寺の信者団体の方を合わせると、年間5万人前後になります。宝物館で働く学芸員は現在、私を含めて4名おり、それぞれ得意分野があります。私の得意分野は仏像ですが、他には身延山の歴史やお稲荷さんに詳しい学芸員もいます。

宝物館の展示会は年に2回あり、企画会議で先輩学芸員と意見を出し合いながら決めています。展示替えの時には、展示品ひとつひとつに説明文を付けるキャプション作りもやっています。身延山宝物館は日本博物館協会の会員にもなっているため、全国各地の博物館からレセプションの案内が届きます。そのため、学生の頃よりも博物館に行く機会が増えました。学生の頃とは異なり、展示の仕方やキャプションのつけ方など、何か参考にできることはないかという観点で見ています。

―池田さんにとって、学芸員という職業の魅力は何ですか?

常に勉強をしていないと、宝物館に訪れた方からの質問に答えられないので、「勉強しながら仕事ができる」ということが、とても楽しいですね。自分の専門分野外の質問をされることもあるため、経巻や浮世絵、軸物などの知識は必死で覚えました。

―今後の夢や目標について教えていただけますか?

池田優季名さん

身延山久遠寺が発行する月刊誌「みのぶ」に、「温像知新」という仏像を紹介する連載コーナーがあり、私が担当しています。毎回取材に行き、掲載する仏像の写真も自分で撮影しています。これまで十五体くらいの仏像を紹介しましたが、まだまだ紹介したい仏像はたくさんあります。ひと通り紹介し終えたら、どこにどんな仏像があるのか、研究成果として一冊の本にまとめたいと思っています。

また、宝物館に人を呼ぶために、今年から絵画コンテストを開催する予定で、その企画・準備もしています。今年の夏に第一回絵画コンテストを実施し、これがうまくいけば毎年やっていこうと考えています。さらに、昨年から身延山久遠寺の敷地内にあるお堂を文化財登録しようという動きがあって、登録のための準備も少しずつ始めています。

夢に向かって学ぶことができる、学生の時間を大切に

―大学生の頃に奨学金の給付を受けていて、良かったことはありますか?

仏像の修復では、彩色に使う筆など自分の道具を買いそろえなくてはならず大変でしたが、毎月決まったお金が受け取れたのでとても助かりました。夜遅くまで工房で作業をすることもあり、アルバイトをする時間はほとんどありませんでした。

―最後に、奨学金の利用を考えている学生の皆さんに、メッセージをお願いします

学生生活は、あっという間に過ぎてしまいます。私は学芸員になるという夢を抱いて大学に進学しましたが、実際に学芸員について知れば知るほど、新卒での採用はとても難しいことがわかり、半ば夢を諦めていました。しかし、奨学金のおかげで、貴重な時間をアルバイトに費やすことなく専門知識を学ぶことができ、そこでチャンスをつかみ、今の仕事につながりました。奨学金を検討している学生の皆さんは、ぜひ自分のやりたいことを学生のうちにやってもらいたいです。

文/写真:真壁在

身延山久遠寺